人に依存できる体質とできない体質。
どうも、shinoDっす。
こんなお便りが届きました。
幼い頃から人に依存することができないです。
特定の人に依存する自分と、その人がいなくなったときが怖いのだと思います。異性の友達はたくさんいますが好きな人ができません。
いいなと思った人がいても無意識に心にストップをかけてしまいます。現状そこそこ楽しく過ごせているので特に不満もなく好きな人がほしいとは思わないですが、そう遠くない未来に周りの友達が結婚なんかしていくと考えると人のことを好きになれない自分は今後も独りなのかと不安を抱きます。
人に依存できない。
「依存」と「協力」の違いについて
なるほどね。
まあ自分の意見ですが、正直、人に依存はしなくていいと思います。
例えば、「依存」と「協力」はそもそも違う気がします。結婚で必要なのは協力の方であって、依存の方ではないと思います。
そして、好きな人って無理やり作るものでもないですし、「好きな人」っていう席を先に作ってしまったから、空席状態に不安を覚えているのです。
気になる人ができて初めて「好きな人」という席を用意してみてはいかがでしょうか。
そして、誰も好きになっていない今の独りの状態がそこそこ楽しいのであれば、将来もそこそこ楽しいと思います。
実際っすよ。
自分が好き好きでたまらない人が結婚するからこそ面白くないんだと思いますし、独りでいることに恐怖心を感じているかもしれませんが、そもそも今の状態すらもよくよく考えてみたら、言ってみれば「独り」ではないでしょうか。
だって誰にも依存していないので。
よく「独り」と「一人」を混同しがちですが、周りの孤独度合いで自分の孤独度合いを測りだすと確実に拗らせます。
これは別に孤独に限らず、幸福度合いも同じではないでしょうか。
そういう意味で、周りが幸せになっていく人が増えれば増えるほど、自分が不幸せになっていくと感じるゼロサム(全体の合計がゼロになる)思考は黄色信号と言えます。
なぜ黄色信号かと言うと、幸福度がゼロサムと考えてしまう人は、いざ自分が幸せになったときに、周りが不幸になっていると錯覚して、罪悪感を感じてしまうからです。
誰しも自分のペースというものがあるので、時の流れに身を任すのが一番いいと思います。
最後に、楽しさについて、ちょっと何かしら書きますね。
未来の不確定性という楽しさ
未来のことがわかんない状態が楽しさを生むと思っていますし、仮にすべて確定した未来を歩みなさいと言われたら、それはそれでそのレールから外れたくなるでしょう。
結末を知ってる映画、優勝者を知ってる録画番組、犯人がわかっている推理小説、結婚相手が決まっている政略結婚がつまんなく感じてしまうのはそういうことではないでしょうか。
つまり、今の不安要素である今後も独りかもしれないし、誰かと出会って恋愛するかもしれない人生の不確実性こそが将来の楽しさを生むと思うのです。
ということで、本日はココまで!
どうも、shinoDでした。