通勤ラッシュは.com

読んだら、ちょっと生きやすくなるかもしれない日記。

好きな人と気になる人の違い。

どうも、どうもshinoDです。

  

SNSの何が面白いって、個人がラジオ局持ってるような感覚を持てることだよね。

まあそういった意味だと、ブログも一緒なんだけど、SNSの登場により、個人の発信力が上がったと思いません?

 

最近よく思うんですけど、「1億総評論家社会」という言葉がよく似合う社会になりました。

 

ということで、こんなサラリーマンの一個人にもお便りが届く、そんな時代。

 

っつーことで、今日も答えていこうと思います。

 

気になる人と好きな人の違いは何ですか? 

 

とてもシンプルな質問っすね。

 

気になる人と好きな人の違い。

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「気になる人」とは、その人のことが気になるのはもちろんのこと、自分がその人からどう思われているのかも「気になる」人だと思います。

 

つまり、同じ場所にいてこそ、喋って嬉しい気持ちにもなるし、「見せたい自分が見せられなくて、もどかしい気持ちになる人」のことではないでしょうか。

 

一方、「好きな人」は、その人がいるはずも無い街で何故かその人の影が見えてしまったり、ベッドに寝っ転がりながら、天井を見つめてたらなぜか思い浮かべてしまったり、「この場にいないからこそ想ってしまう人」だと思います。

 

気になる人と好きな人の見分け方は

その人のことを考えたとき、その人が今目の前にいるのかいないのかだと思います。

 

そうなんですね。

自分の中では「気になる人」 だと意固地になっていても、その人がいないところで、その人のことを考えてしまう日常であれば、既にその人のことが「好き」だと思うわけです。

 

もしそのような人がいたとして、「好きな人」か「気になる人」、果たして今自分は一体どっちなんだろう?って考えてしまうコイスルオトメ諸君。

 

どちらにカテゴライズするかで迷っていたならば、その二択で迷うという不毛な行為自体が既に「好きな人」であることを証明してると思うのです。

 

いや〜、お盆っすね。

 

各位、平成最後の夏、思いっきり楽しんでいこうな。 

 

ほなまた。

 

飲み会が苦手な大学生諸君、社会人に送る飲み会論。

。 飲み会が苦手だって?

 

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飲み会が苦手な大学生、社会人諸君に送る飲み会論。

 

ということでですね。

  

実際問題として、大人数の飲み会、苦手な人って多い気がするんですよね。

ただ、飲み会っていうたら「団体競技」だと思うんですよ。

 

例えば、それはサッカーのようなもので、「毎回シュート決めて、点を入れろ」とは誰も言ってないわけです。

 

サッカーのように人それぞれに与えられた役割がある、と。

 

ただ、自分に話が振られると、

点を決めないといけないという切迫感に駆られて、

緊張しちゃって、空振りをしてしまう。

 

といったケースってよくみられると思うんです。

 

ただ、そうじゃないと。

 

これは、先程もいった通り、基本的には「団体競技

 

この話題は一人でドリブル突破できないって判断したら、

その場で笑いをガンガン取っちゃうエースストライカーにパス回せばいいし、

そいつがシュート決めたら、アシスト点が入るわけですよ。

 

誰しも得意不得意の話題ってあるし、無理して毎回ドリブルはしなくていいんよ。

 

というのが毎回持っているメンタリティです。

 

そうです。

 

本日の飲み会論とは、無理して毎回ドリブルなんてしなくていい論です。

 

例えば、皆さんが苦手とする管理職たちとの飲み会だってそう。

 

別にフォワードにならなくていい。

 

「管理職との飲み会がつまらない」と言ってる方々。

 

ちょっと待て、と。

 

「同期婚ってありました?」

「結婚ラッシュって大体何年目ぐらいです?」

「奥さんとどこで出会ったんですか?」

 

のパスの回し方さえ押さえとけば、正直大丈夫だと思うんですよ。

 

これだけで最強のアシストになる。

 

ほら、高尚な会話なんてしなくても向こうが20代に戻ってきてくれるから。

 

 

この基本的にドリブルはしなくていい理論から辿れば、

じゃあどうやってパスを回すか?っていう話になると思うんです。

 

でも、パスの回し方って、いろんなやり方があると思っています。

 

既に誰かがドリブルを始めているときに

「それで、それで?」って尋ねるのも立派なアシスト。

 

誰かがドリブルしているときに邪魔が入りがちなのも飲み会あるあるの一つです。

 

いい感じの話が続いてるときに、出てきた単語だけを拾って、「◯◯と言えばさ〜」みたいな話題の方向性を変えられてしまっては、ストライカからしたら、きついわけですね。

 

その話の動線を作ってあげるのも一つのアシストとして成立します。

 

終盤に近づくにつれて、

「え、そっから?」とか、「へえ〜」といって、

「相槌」で空気作りに勤しむのも一つの手だと思うんですよ。

 

誰もこのストライカーの動線に入るんじゃねえぞ、くらいの気持ちで。

 

つまりは、誰かしらのおもしろい話だと言えども、

「オチ」はどこに行き着くんだろう?

彼の話のゴールはどこにあるんだろう?って考えることは常に意識しつつ

先程の「動線を作ってあげる」のも一つのディフェンス的な仕事なわけです。

 

無事、彼がゴールを決めて笑いが獲れたら、

それは彼の成果であると同時に、自分の成果でもあると誇っていいと思うんです。

 

ということで、サッカーに喩えて、展開しました、この無理してドリブルしなくていい論、次回の飲み会に使っていただければと思います。

 

飲み会論、実はめちゃめちゃあるんですけど、本日はココまでにしときます。

 

ほなまた。

 

簡単なことは難しく考えたらアウト。勉強の意義は難しいことを簡単にすること。

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どうも、shinoDです。

 

勉強をするときに意識していることってありますか?

 

今日はこの質問に答えていきたいと思います。

 

シンプル勉強法

自分自身が意識していることはとてもシンプルです。

 

むしろ、昔は簡単なことを難しく考えすぎていたところがありました、と。

 

そうではなく、勉強の意義とは難しいものを簡単にすることだと思うんです。

 

これに気づいたとき、自分自身の勉強哲学が完成されたと思っているので、ポイントでもココに書き連ねます。

 

勉強の目的とは、そもそも、知識を増やすことではなくて、脳みその空き容量を増やすことであると気づいたわけです。

 

パソコンに喩えると、体系化できるものは体系化させて、zipファイルで閉じる。

 

zipファイルって、かさばったファイルを一括に保存すると同時に、容量を小さくする機能を備えています。そして、ファイルの中は情報が階層的に整理されています。

 

体系化できればできるほど、収納が簡単なんですわ。

 

原理はコレと一緒で、いかに収納をコンパクトにするか。

 

物理系の人間なので、「エントロピー」って言葉を使いたくなるわけですけどね。

 

これは固体の模式図です。

 

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一方で、これは液体の模式図です。

 

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エントロピーは乱雑さを表す指標であり、乱雑である方がエントロピーが高いといいます。

 

つまり、液体の方は固体と比べて、エントロピーが高めです。

 

話を戻すと、情報が煩雑化されていない状態といいますか、理路整然と並べられた情報は余計なエネルギーを使いません。

 

頭の中に本の目次を作ってしまえばエントロピーは低いわけですね。

 

そして、もう一点ポイントがあります。

 

整理とは言え、「細部にこだわりすぎないこと」です。

 

最近では、むしろ、覚えんでいいやつはゴミ箱に捨てて忘れるくらいの感覚を持っています。

 

必要になったら自分の外にあるクラウド(書籍、ネット)を使って、その都度検索すればいいわけです。

 

知識を詰め込みすぎて、容量パンパンでメモリを圧迫させて頭の回転鈍くなるのは本末転倒だと思いませんか。

 

これからの時代は頭の中にある情報から知識を引っ張り出してきて、解決策を考えるという2機能を持つ必要はないと思っています。

 

頭の中に詰め込むという作業と解決策を考えるという作業に10ポイント振れるとしたときに、今までは、6:4だとか7:3みたいな頭の使い方をしても通用していた時代のような気がしています。

 

しかし、インターネットがこれほど発達してくれたおかげで、"巨大な図書館"が常にネット上にある時代。

 

比重は1:9でもいいんじゃないかとさえ思います。

 

必要な情報を探し出し、組み合わせて、「思考する」という、この後者の「思考する」ことが求められる時代であると個人的に思ってるんですけどね。

 

とはいえ、覚えなくてはいけないものというものは前提としてあるはずですので、その覚えるべきものというものは、頭の中の「本の目次」を作っていく中で、思考整理の中で振り分けていけばいいと思うのです。

 

少し抽象論の話になってしまいましたが、一言でまとめるならば、どんな内容であれ、いかに情報をコンパクトにまとめて整理するかという話に帰着すると思います。

 

エントロピー」という言葉、日常生活でガンガン使っちゃってください。

嫌われます。

【第二章】自宅カフェ化計画

どうもどうも、ミニマリストのshinoDです。 

 

本日は、自宅カフェ化計画についての進捗報告です。 

自宅カフェ化計画

前回までのあらすじはコチラ。

 ➡【第一章】自宅カフェ化計画

 

【前回までのあらすじ】

カフェ好きすぎるけど、東京のカフェはビジネスマンの熱気がスゴくて、暑くてすぐ出ちゃう。だったら、リビングをカフェにすればよくね?

 

自分には自宅を世界一休まる空間にする権利がある。

 

っつーことで【自宅カフェ化計画】始動したわけですけど、今回はその第二章ということで進捗を報告させていただきます。

 

第一章はデスクとチェアを買ったところで終わってました。

 

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前回までの進捗、ココです。

 

もうね、あれから、毎週どこかしらのお店に足を運び、部屋のことを常に考えてしまう体質になってしまったわけよ。

 

一週間に何回ニトリ行くねんみたいな。

 

渋谷のLOFTと東急ハンズFrancFranc無印良品を行ったり来たりみたいな。

 

っつーことで、理想からはまだ程遠い状態ではあるが、「桃源郷」になりつつある。

 

そんなお話。

 

もうね、下手に外出するくらいなら普通に家に居たい。

 

何をしても絶対に怒られない俺様がルールの統治国家が此処にはあるわけだ。

 

自分の部屋は世界で一番居心地のいい場所にしなければならない権利も義務もある。

 

ということで、どうやったらカフェに近づくか?ってことで試行錯誤した結果、とりあえず、またまたポスターを増やしました。

 

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こんな感じです。

 

コンセプトは白黒のモダーンな感じで白黒をベースとしつつも、赤色を差し色にしたらおしゃれかなって思って、赤色のポスターを探し回った結果、いい感じのポスターを見つけたので、衝動買い。

 

ついでにデスクも載せちゃうよ。

 

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うん、いい感じ。

 

自分で言うのもなんやけど、すげえカフェっぽいっす。

 

っつーことで、部屋の全体写真はこんな感じです。

 

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うん、けど、まだ何かが足りない気するんよな。

 

ミニマリストshinoDの闘いはまだまだ続くよ。

 

自宅カフェ化計画第三章、お楽しみに。

 

ほなまた。

 

 

「結婚ラッシュ」を統計的に見積もる方法。

どうもどうもshinoDです。

 

当方26歳の独身会社員。

 

いやあね、流石に考えちゃうよ、「結婚」ってヤツを。

 

なぜかって、周りを見ると、マジでペースがオカシイって。

バグってやがる。

 

クッソ久々に昔仲良かった同級生に連絡取ってみたら「あ、そういえば、入籍しました。」って言われちゃった。

 

え、ノリ軽っ!!

 

待って待って、なんだなんだ、この気持ち!?

 

【問】女友達の名字変わってたときのこの気持ちを100字以内で答えよ。つって。

 

ねえ、神様教えて。この気持ちって、辞書に載ってますか?、と。

エモいとか、甘酸っぱいとかそんなんじゃない。

 

数種類の感情をブレンドさせないと、この感じはゼッテー再現できない。

 

「マスター、『同級生が結婚』で作ってもらえるかな。」

「承知いたしました。」

(シャカシャカシャカシャカ)

「どうぞ。」

…..ほお。このカクテル、『おめでとう』って名前をつけてもいいかな?」 

ってもう、とりあえず、もうわっかんない。

 

この気持ち、一旦「おめでとう(仮)」でいいっすか??

 

そもそもやけど、「新しい名字です。」ってなんやねん、と。

 

え、もう割ともうみんなそんな感じなん?

 

ガラケー時代の「メアド変更しました。登録お願いします。」的なノリ??

 

Facebook5億年ぶりに開いてみたら、知らない名字がちょいちょい紛れてるし。

知らない名字の後ろに括弧書きで旧姓が鎮座しておられるし。

 

そうだよな。

もうそんな歳なんだよな。

 

今年27歳ってそういう次元の話だよな。

 

もうマラソンで言うところの完全に1週遅れ感がスゴイというか。

 

逆にビリすぎて、先頭走ってない??とか思っちゃう。

これ終盤になって、めっちゃ応援されるヤツじゃない??とか思っちゃう。

 

そもそも結婚に対して、ゴールテープのイメージ湧いちゃってるけど、そんな感じであってる??

 

なんか違うくねえか?

 

むしろ、結婚とはスタートなのでは。

 

あ、独身の分際で申し訳ないけど、5秒間だけ語っていいっすか。

 

【独身代表 在校生の答辞】

「結婚」はゴールのようであって、ゴールでもないし、幸せな人生を送るための一つの手段として、結婚は位置づけられるべきであり、結婚する人生もしない人生もあってもいいのではないか。by shinoD(1991~

 

さて、本日は軽く統計的な分布を用いて、結婚ラッシュでも見積もろうかと思う。

 

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母集団の定義が曖昧ですけど、仮に結婚ラッシュが正規分布に従うとしようか。

 

正規分布はσを標準偏差とすれば、3σ期間内に 収まるのが約99.7%、2σ期間内に収まるのが約95.5%であると知られています。

 

つまり、同級生の友達の約4%が結婚するまでにかかった期間を求めます。

 

これを仮に22歳から25歳までの3年間(=σ)だとすれば、

 

結婚ラッシュ(μ近傍)は大体30歳前後であると見積もることができる。

 

そう、結婚ラッシュなう。

 

各位、今日は鬱蒼とした月曜日ですが、ストレス社会の現代社会にドロップキックぶちかましていきましょうか。

 

ほなまた。

 

カップルが別れる理由。

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どうも、shinoDです〜。

本日も、質問箱にお便りが届いております。 

カップルが別れる理由でよくある「価値観の違い」についてです。

 

付き合っていて、食の好みだったり、彼氏彼女への優先順位だったり、歩く早さだったりと相手と違うところって沢山あると思うんですけど、付き合う中で一番重要な「価値観」ってなんだと思いますか?

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付き合う中で一番重要な「価値観」

質問ありがとうございます。

 

付き合う中で一番重要な「価値観」ですか。

 

それは、自分自身の持っている揺るぎない価値観にマイナーチェンジを加えることができるといった「柔軟性」の価値観だと思います。

 

自分以外のすべての人間はそもそも他人なので、価値観がピッタリ合うなんてことはまずないと思うのです。

 

あるとすれば、個性をカスタマイズできるようなアンドロイドとの恋愛みたいなSFチックな近未来の話になるかと思います。

 

ただ、現代ではそこまで技術が追いついておりませんので、ランダム性の高いバラバラの価値観を持つ生身の人間との恋愛であると、ココでは仮定します。

 

自分と好みも相性も優先順位もすべて一緒の人間ってまずいないですし、いたらちょっと気持ち悪いレベルだと思います。

 

ただ、自分が持っている価値観の中でも、譲れる部分と譲れない部分、融通が効く部分と頑固な部分っておそらく誰しもあると思います。

 

つまり、譲れる部分と譲れない部分を持った二者が対峙したとき、この二人の閉じられた世界、A Whole New Worldにおいて「価値観」は4つに分類できます。

 

①こちらが譲れない領域かつ相手の譲れる領域

②相手が譲れない領域かつこちらが譲れる領域

③こちらも相手も譲れる領域

④こちらも相手も譲れない領域

 

です。

 

①に関しては、こちらに合わせてもらう。

 

②はこちらが合わせる。

 

③は二人で折り合い点を一緒に見つける。

 

そして一番難しい④の領域は、どちらかが折れなければならず、そっと扱わなければならない極めてセンシティブな価値観の領域です。

 

ココが一番重要かつ別れの原因にもなりうる領域だと思ったりします。

 

すなわち、この揺るぎない価値観の領域④にどう向き合うかが二人の未来を決定する領域であると言っても過言ではないかと思います。

 

さて、この領域④にどう向き合うか。

 

それは、「好きな人のためなら多少なりとも変更点を加えることができますよ」といった「柔軟性」が将来共にするかもしれない他人と生きていく上で一番重要な価値観であると思うのです。

 

以上です。 

 

恋愛感情と性欲について。

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どうもどうも、shinoDです。

本日のお悩み相談はコチラ。 

shinoDさんは恋愛感情と性欲は連動するものだと思いますか? 性欲が全くない訳では無いんですが、自分の好きな人とそういう行為をするという発想に至りません。 そのことを友人に言うと「そんなん好きな子と付き合うメリットないやん」と言われて悩んでいます。 

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恋愛感情と性欲の関係性について

恋愛感情と性欲は連動するか否か。

 

質問に答えると、「そこに絶対的なルールは存在せず、する場合もあれば、しない場合もある。」というのが個人的な答えです。

 

恋愛感情と性欲は連動しなければならないといった「ルール」って元々そこにはなくて、結局好きになった相手次第で変わるものではないか、というのが持論です。

 

つまり、「恋愛感情」と「性欲」の連動という二体運動だけの話ではなく、「恋愛感情」と「相手」、「性欲」と「相手」という「相手」を巻き込んだ三体運動である気がしてなりません。

 

「好き」という感情を細かく見ていけば、性欲を抱く好きと性欲を抱かない好きという2種類あるかと思います。

 

性欲を抱かない好きとは、例えば、好きな人が家族化してしまうような好きといったところでしょうか。

 

さて、その線引きはどうやって行われたかというと、好きになった「相手」が感情を選り分けてくれた気がするのです。

 

この「人によりけり」という考え方に基づけば、昨今のカオス化している恋愛の雑多事は以下のように言い切ってしまうこともできます。

 

『性欲を抱くからといって、好きであるとは限らないし、性欲を抱かないからといって、嫌いであるとは限らない。』のように。

 

さらに、なぜ、今悩んでいるか。

 

それは「恋愛感情と性欲は"本来"連動するものである」という、そもそも論、性質論という「ルール」を絶対視しているため、その"正しさ"から外れてしまっている自分がそこにいるような気がしていて、なお、友人からそのことを指摘されているからだと思います。

 

そうではなく、「恋愛感情と性欲が連動する人もいれば、しない人もいる。」という「人」側の話に帰着させた方がより現実問題に即していて、こちら側に寄り添ってくれる解釈である気がするのです。

 

ただ、思うのに、カップルとして何をするのか、別にそれは「ルール」として、そもそも何も決められていないわけで、エロいことをしまくるカップルがいてもいいし、全くしないカップルがいてもいいと思います。

 

「毎日カレーって食べないといけないものでしょうか。」そういう次元の話に聞こえてしまうのです。

 

先程の質問を「カレー」に置き換えれば、『好きな子と食事に行きたい感情と食欲は連動するものだと思いますか?

 

食欲が全くない訳では無いんですが、自分の好きな人とカレーを食べるという発想に至りません。

 

そのことを友人に言うと「そんなん好きな子と食事いくメリットないやん」と言われて悩んでいます。』という話に聞こえるのです。

 

友人はカレーがただただ大好きな人間なのでしょう。

 

別に好きな子との楽しみ方の選択肢としては無限大で、カレー熱狂信者がいてもいいし、「俺達はうどんを食べてた方が幸せだな。」と思えれば、うどんを食べて幸せを噛みしめるカップルでもいいと思うのです。

 

楽しみ方は人それぞれで、実際、付き合うまでの駆け引きの中で、そして、価値観を提示していく中で、見極める必要があるかと思います。

 

恋愛における二体運動の問題かと思いきや、実は「相手」を巻き込んだ三体問題であるというややトリッキーな問題ですね。試験によく出ます。

 

過去の記憶の飼いならし方。

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はい、どうも。shinoDです。

お久しぶりです。

久しぶりに質問箱を覗けば、こんなお便りが届いてたので、返信します。

今付き合っている人の事はとても好きで、順調です。

しかし昔好きだった人のことをたまに思い出してしまいます。

今はもう恋愛感情はないですが、すごく好きだったな、と懐古してしまうのです。

すっぱり忘れるべきですか。

また忘れるためには時間の経過に頼るしかないですか。

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過去の記憶にすがるべきか、忘れるべきか

忘れなくていいと思います。

 

ちゃんと表現するならば、「忘れる」ということを意識しなくていいと思います。

 

そもそも、忘れるべきとは思ってはいても、忘れられないから今悩んでるのでしょう。

 

つまり、これはどうしようもない問題です。

 

「忘れる」というコマンドはそもそも人間が意図的に操れるものではなく、過去を振り返ったときの結果論の言葉でしかないわけです。

 

言うなれば、記憶の本棚に飾ってあるくらいのスタンスでちょうど良いのではないでしょうか。

 

ふと、思い出して、書庫から本を取り出して、こんな本昔読んだなくらいに懐古する感覚で。

 

スピッツの『涙がキラリ☆』という曲の中に、個人的に好きな歌詞があります。 

 

君の記憶の片隅に居座ることを今決めたから」という箇所です。

 

昔好きだった人がもしかすると、ただただ居座っているだけかもしれません。

 

逆に、開き直って、忘れられないということは、まだ覚えておくべきであることの裏返しなのではないでしょうか。

 

その理由はわかりませんが、忘れることを意識しすぎない方がいいということです。

 

そして、忘れられないということは、過去、真剣にその人と向き合ったことの誇るべき一つの証かもしれません。

 

意識すればするほど忘れられないというのは人間の脳みその厄介なところなので、問題定義すること自体がカサブタを破ったり、ニキビを潰すことと同義であり、問題を只々深刻化させる一方だと思います。

 

いつか時間が過ぎ、名前も覚えてないくらいに忘れてしまうときが来るかもしれません。もし、そのときが来たら、過去の記憶と思い出に頼らず、目の前にある幸せだけで生きていけるということだと思います。

 

今の恋人の記憶の片隅に居座り続けるような付き合いをした上で、弱気なままのまなざしで夜が明けるまで見つめてください。 

 

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