通勤ラッシュは.com

読んだら、ちょっと生きやすくなるかもしれない日記。

自己満足成分は生きて行くのに必要か。

f:id:shinod_blog:20180814070709j:plain


どうも、shinoDです。皆さん、5月の中旬ですが、いかがお過ごしでしょうか。

 ということで、さっそく本日の質問について答えたいと思います。

 本日の質問はコチラ。

 

自己満足って生きるのに必要だなと思うのですが、shinoDさんの日々はどれくらいの割合を自己満足成分で満たしていますか?

 

f:id:shinod_blog:20180517070330p:plain

 

 

自己満足成分

日々の中で、どれだけの割合を「自己満足」に充て、その他どれだけの割合を「他者満足」いわゆる、他人からの評価のために生きているかという意味でしょうか。

 

そういう意味として応えるならば、前提として自己満足成分100%を目指しています。

 

どういうことかというと、他者は自己の延長線上にあると思うので、他者に向かう意識は決まって自己充足の後です。

 

そもそも「満足」の届け先として、「自己」か「他者」かといった対象の問題があるとしましょう。

 

きっと、質問者は満足させる対象として、「自己」と「他者」どちらに重きを置いていますか?というニュアンスをもっていたのかと想像しています。

 

自分の捉え方はそうではなく、届け先はそもそも「他者」しか存在していなくて、その届ける車のガソリンのようなものが「自己満足」成分です。

 

ガソリンがないのに、他者を満足させようとする「自己犠牲」と「他者満足」は短期的には成立するかもしれませんが、長期的にはしんどくなるだけなので、そういう意識はできるだけもたないようにしています。

 

つまり、今、どれだけのエネルギーを蓄えているかが他者満足の量に比例するまたは繋がると思っているので、目指すべき場所は「自己満足100%」です。

 

おそらくですけど、自己満足を極めたら、溢れたガソリンが勝手に誰かに注がれるような気がするのです。

 

さて、自己満足と対比構造を持つ「他者満足」についてですが、これは他人からの評価という話に繋がると思います。

 

つまり、他人からの評価を得たいと思う感情、すなわち、「自己承認欲求」というものがあるとすれば、他者満足を満たすことによって、「自己承認欲求」を満たし、結果的にそれが自己満足に繋がるパターンもあるかもしれません。

 

他人からの評価をモチベーションにして、その成果として自己満足に繋がるというパターンですね。

 

しかし、この場合ですと、正当な成果が受けられない場合モチベーションが下がる危険性があると考えています。

 

つまり、成果の質により、自己のモチベーションが左右されるという自体に陥るということです。

 

そういう意味では、プロセス評価の意識が強い方は自己満足成分多め、成果評価の意識が強い方は他者満足成分多めということになるのではないでしょうか。

 

「承認欲求」に関しては、自分は肯定派でも否定派でもありません。

過去、承認欲求について記事を書いたので、興味ある方は読んでみてください。

 

shinodism.hatenablog.com

本日は以上です。

ありがとうございました。