通勤ラッシュは.com

読んだら、ちょっと生きやすくなるかもしれない日記。

他人に期待しない生き方。

どうも、shinoDっす。

本日は、こんなお便りが届きました。

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周りの人のだらしなさに腹が立って仕方がありません。

楽をしている人ややるべき事もやらない人のせいで、自分が余計に辛い思いをして仕事をしてると思うとしんどいです。

世の中そんなもんなんでしょうけどそれじゃ納得できないです。子どもみたいな相談でごめんなさい。

割り切って生きていけるようなアドバイスをください。

他人への期待と信用の貯蓄。

他人に期待しない

周りのだらしなさに腹が立つのであれば、他人に期待しない生き方をしてみてはいかがでしょうか。

 

だらしなくないと信じている人の、実際だらしないシーンを見かけるから腹が立つのであり、自分の中で「だらしない人」というレッテルを貼ってしまえば、何も思わなくなります。

 

それは嫌いになるとかではなくて、「個性」として受け入れるという意味です。

 

「だらしない」に関しては、お金、時間、仕事、恋愛、異性関係、さまざまありますが、ここでは、ありふれた事例として、「時間」にしましょう。

 

例えば、よく遅刻する人について言えば、いつも30分遅刻する人が時間通りに来たら、感動しませんか。

 

赤ちゃんが初めて二本足で立っただけで、親が感動してビデオを回すのは、いま「二本足で歩けない子」というレッテルが貼られているからであり、人は期待値を上回れば、感動しますし、期待値を下回れば、裏切られた気持ちになって、悲しくなります。

普段からいちいち悲しくなりたくないので、無意識下で、対象の期待値を上げ下げし、感情をコントールするのが人間の感情と言えるのではないでしょうか。

そして、今、自分の周りの人間に対して、期待値高めな日常を送っているのでしょう。

信用の貯蓄

さて、ここで一つ、"時間通りに来るだけで、感動される人間になりたいか"について考えたいと思います。

 

叱ってくれるうちが華であると思うのは、周りが、今後の付き合いとして、期待値を上げ下げしようかという境界線上で彷徨っているからであり、周りが何も言わなくなったときは、期待値が底をついている可能性があります。

 

そういった意味で、やるべき事もやらない人は、一見、周りが何も言わないから楽している、または得しているように見えますが、どこかで信用の期待値を落としている可能性があります。

 

時間通りに来なかったら、「何かあったのかな」って思われる人間になりたいのであれば、自分の時間を売って、信用を買えばいいと思いますし、時間通りに来て、感動されたいのであれば、信用を切り売りし、みんなを待たせる時間を買えばいいと思います。

 

以上をまとめると、人は他人のために時間通りに来ているのではなく、最終的には、自分のために時間通りに来ていると言えるのではないでしょうか。

 

さらに抽象度を上げて、普遍的に言えば、どの行為を切り取ってみても、他人のために生きているシーンって、実は少なくて、長い目でみれば、どの行動も自分のためにしているという結論に帰着できるかと思います。

 

そして、それは「時間」だけに限らず、例えば、今悩まれている「仕事」に関しても適用可能です。

 

今、余計に辛い思いをして、仕事をしているかと思いますが、それは決して、サボってる人の尻拭いという自己犠牲のボランティアなどではなく、将来の自分の信用を上げるための、いわば「信用の貯蓄」です。

 

それでも、他人が自分に依存し始めて、嫌になるのではあれば、一旦全部投げ出して、やめてみるのも一つの手です。

 

最初の一行に戻りますが、同じように、他人も自分が思っているほど自分に期待していないかもしれませんし、その事に気付くきっかけになるかもしれないからです。以上、長文を書き連ねましたが、一言でまとめると、背負いすぎず、考えすぎないでいいと思います。

 

ということで、shinoDでした。