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読んだら、ちょっと生きやすくなるかもしれない日記。

文章の書き方講座。

どうもどうも、shinoDっす。

 

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こんなお便りが来ました。

自分自身の考えてること、思考をshinoDさんのようにきれいに文章にすることが上手くできません。例え、自分の中で筋ができていても文章に起こすときに崩壊していきます。どういうことでどうしたらいいでしょうか。

 

ホントありがとうございます。

 

文章上手くなりたいとは思いつつ、まだまだであると日々感じていますが、自分の中でこだわってきたジャンルの一つですので、卑屈にならずに自分が文章について考えていることを書き連ねます。

 

ということで、今回のテーマはこちら。

文章の書き方

結論から言うと、一番大事なポイントは、自分で文章を書いた後、全く別人になりきって、その文章を読むことだと思います。

 

おそらくこれが客観視と呼ばれるものなのでしょう。

 

自分自身が執筆者でありながら、常にケチつける世界一厳しい読者を同時並行で演じるのが近道だと思います。

 

よく本を読みまくれば文章が書けるようになるって言われがちですが、自分的には違うと思います。

 

洋楽を聞きまくっていたら、洋楽が歌えるようになると言ってるのと同じくらいの思い違いだと思います。

 

アウトプットといいますか、やはり、「書く」ことに尽きると思います。

 

インプット能力の方がアウトプット能力より勝るのは、名監督が名プレイヤーであるとは限らない論理と同じであると言えます。

 

今のこの感情や思考を文に起こしてみる過程で、いろんな言葉たちが脳内を駆け巡ると思います。

 

そのときには、たまたま文章に起こされなかっただけで、候補として一瞬でも目をつけられた言葉たちはおそらく次吐き出す機会にスムーズに出てきやすくなると思っています。

 

そのスムーズな出てきやすさというものが、今後、話し言葉である「喋り」や書き言葉の「文章」を書いていくときに使われてるであろう脳内の予測変換の開発に繋がると思っています。

 

また、文章が崩壊した瞬間は自分の「癖」を探るチャンスであるとも思っています。

 

なぜ文章が崩壊したのかを文法的に探るのは少なく見積もって今まで数千回はしてきたので個人的に有効であると考えています。

 

例えば、文法的な話をすると、主語が長くなりすぎてしまうことも一つの例です。

 

頭でっかちな文章は読み手側も混乱しますし、二重主語は文章が一意的に捉えられない場合もあります。

 

他にも、副詞が冗長になりすぎてしまって、軸から脱線しちゃう。

 

だとか、文章と文章の間の接続詞を書き間違ったりすると、論理自体が崩れます。

 

名詞にくっつける形容詞も同じことが言えて、適切な修飾の仕方をさせてあげないと崩壊文を生むことになります。

 

日本語の性質上、英語ほど位置に対して厳密な指定がないがゆえに一意的に解釈できる文章を作るのは難しいような気がしています。

 

もっと深掘りすれば、接続詞を書かない文章って意外と多い気がするんですが、雰囲気で伝えようとするのは日本語の悪習のような気もしてて、これは書き手側のエゴだと思います。

 

文章を構成するのは文の集合体ですし、先に「文章」を書こうとすると、崩れますので、まずは、「文」を書く練習から始めてみるのがいいと思います。

 

文が書けたなら、文と文を滑らかに繋ぐ接続詞(=論理)の練習。

そして、それらが段落を作り、段落と段落を繋ぐ段階で初めて最初の想起した論理の筋というものが現れるのだと思っています。

 

現れた文章を何回も何十回も読んで、舌触りがいい滑らかさを感じて初めて人に見せるのがいいと思います。

 

最初の文に戻りますが、そういう意味で、自分自身がコアな読者になるのがてっとり早いと考えています。

 

誰かが自分の文章を初めて一回目読んだとき、既に自分は精読、速読含め何回も何十回、はたまた何百回も読んでいるのではないでしょうか。

 

まあ言うても、何百回の境地は就活のESくらいなんですけどね。

 

過去、エントリーシートの書き方についての記事も書いたのを思い出したので、コチラもよかったらどうぞ。

 

shinodism.hatenablog.com

 

それでは、また。