通勤ラッシュは.com

読んだら、ちょっと生きやすくなるかもしれない日記。

最強の生態系について考えてみた。

 

f:id:shinod_blog:20180815063807j:plain

f:id:shinod_blog:20180418012642p:plain

最強の生態系。

当方25歳。此の期に及んで、もうすぐ齢を+1更新しようとしている成長市場の老舗ベンチャー

 

そんな自分ですら、二十歳前後の新規の女性と仲良くなりたくなる新規市場の開拓、つまりブルーオーシャンという大海原に舵を切りたくなるフェーズが定期的に訪れる。

 

そんな人のために用意された社会のサービスエリアがキャバクラだと思うわけだが、新規開拓のそれを目的として、キャバクラに頼り、会話ごときで金銭的なやりとりが発生するのは、それはある種の"敗北"だと考える。

 

キャバ嬢は自分のことをカモとして見ている可能性が高いし、新規客として連れてきた友人を見て、「お、カモがネギを背負ってきた。」って思われてそうで個人的にイヤ。

百歩譲って、そこで留まれば全然いい。

 

もっと俯瞰すれば、冴えない男が貢いだ金が、"キャバ嬢"という物流を経由して、髪の毛をジェルで固めた濡れたヘアーの男が持つクラッチバッグの中の財布に流れ込む。

 

そんなわかりきった資金流通経路に金を流し込むことは、ブサメン税の支払いを自己申請してるみたいで、すごく嫌なのだ。

 

これ以上、ブサメン大名の経済力を弱体化させるのはやめて欲しいし、形は違えど、キャバクラは平成の参勤交代なのだ。

 

自分のブサメン性には目を瞑り、虚像でもいいから自分のイケメン性に希望を託しながら生きてるのが、俺たち男なんじゃないのか。

 

何が言いたいかって、こんな懐疑心を持ったまま女の子と話したくない。

人工的な出会いにトキめかないし、もっと自然に出会いたい。

 

本当は誰しもTinderなんて使わなくていい平和な世界を望んでるはずなのだ。

 

今、自分が持っている下心というのは、渋谷のスクランブル交差点に蔓延ってる"下心"ではなく、クラス替えの登校初日に持つ女の子と仲良くなりたいというただただ可愛い"下心"なのだ。

 

信じて欲しい。もっとこうナオトインティライミの歌詞のような爽やかな感情でしかないのに。

 

---

マクドナルドの向かいのテーブルに同年代の女性がいたとき、「この子が登校初日同じクラスだとわかったら、どうやって仲良くなるだろうか?」という脳内シュミレーションをよくする。

 

何かしら同じ共同体を有する間柄なら確実に仲良くなれるようなアプローチを試みるはずだが、真向かいの女性との共同体は、現時点このマクドナルドのみ。

 

このシチュエーションに関しては、もうお手上げするしかないのである。

 

『この子と仲良くなることは、この人生でもう二度とない。』

 

この残酷な現実が僕を絶望の淵に追いやる。

 

そこである疑問がふと沸いた。

 

「下心があると思われずに、新規の女友達を増やす方法」って存在し得るのか?と。

もし自分が竹内涼真だったら、話は別。もはや子音はいらないし、母音だけあれば十分である。

 

一応確認しとくと、僕は竹内涼真ではないし、共通点はヒト科のみ。

 

別にイケメンでもないし、話しかけることが仮にできたにせよ、話しかけた瞬間に振り切れる女性の警戒値を下げることは一般ピーポーには至難の技なのだ。

 

はて、この"警戒心"の発生原因って何だろう?って考えたところ、ある結論に達したので、筆をとった次第である。

 

-----

さて、ここからが本題だ。

 

ある仮説を提唱する。

 

「初期段階における"ちんこ"の存在って、まあまあ邪魔じゃね。」

 

どれほど思考実験を繰り返しても、最終的にここの障壁(ポテンシャル)にぶつかる。

 

女性側の警戒心を最小化にすることはできても、ゼロにすることはできない。

 

ゼロにできないのは完全にちんこのせいであると。

 

ちんこ分のポテンシャルエネルギーのせいで確実に女性の警戒心をゼロにできないし、こいつのせいで、最終的にちんこの斥力で跳ね返されてしまうのだ。

 

女友達として仲良くなって、向こうも自分を完全に"男友達"として見てくるわけだが、男側が徐々にその子を恋愛対象にしか見られなくなって、意を決して告白してみたら

 

「そんなつもりはなかった。」

 

いつの時代も、我慢比べ、根比べで敗北を喫するのは男である。

 

これはあらゆる恋愛の現場で散見されるし、モテなさる女性はこのような経験が人生スケールとして、累積されている場合が多く、男友達と言えども、根っこのところでは警戒していることが往々にしてあると言える。

 

今からオブラートに包むために、男性のモノを"鍵"、女性のモノを"鍵穴"として比喩を導入する。

 

究極の理想論でいくと、『女性が鍵を渡す制度』があれば最強だと思う。

つまり、女性がちんこを渡すのだ。

 

比喩の意味をぶっ壊してしまったが、解説をすると、鍵が男性に元々なく、女性が鍵と鍵穴を1セット持つという考え方だ。

 

このアタッチメント方式を生態系に応用できれば、最強ではないかと閃いた。

 

遊び盛りの女性は合鍵を作って、複数人の男性に渡せばいいと思うし、男性が何股かけているかは殿方のキーホルダーみればわかるわけだ。

 

===

「どうしたの、さっきからその鍵ばっかり眺めて。」

 

「忘れられなくってさ。」

 

「返さなかったんだ。鍵。」

 

「いや、返したよ。別れ際に、合鍵作っちゃってさ。」

 

「サイテー。ねえ、あのさ。私の鍵、渡すからさ。その鍵もう捨ててくんない?」

===

もし、このシステムが実装されれば、決定権はすべて女性に委ねられるわけで、"下心"という概念自体が薄まり、女性は受け入れ母数を確率論的に拡げようと考えるのが自然な流れであり、男側も男友達として見境なく立候補しやすい社会的生態系が構築される。

 

浮気をすれば鍵屋が儲かる。

 

ただそれだけ。

 

「最終的に審査するのはこっちだから、とりあえずエントリーヨロシク。」という女性優位の社会的生態系。それに甘んじてひたすら、エントリーを繰り返す男性社会。

 

何がいいたいかって、「ちんこ」の存在ってまあまあ邪魔やんけという前提から、導き出された理想論を先ほどの現実問題に落とし込むとどうなるか。

 

===

マクドナルドの向かい側の女性を女友達にする方法」の最適解。

 

まず警戒心を取り払うことが短期的ゴールとみなして、準備段階として、ちんこを切除することが必要条件。

 

去勢した上で、向かい側の彼女に向かって、チラッと下半身を見せつけ、下心自体が物理的に存在し得ないことを示した上で、

 

「友達になってくれませんか?」

 

理論的には、最強すぎない?

 

そんなことを思いながら、せめてものダイイングメッセージとして、向かいの彼女に向かって、Lサイズのポテトを頬張りながら、席を立つ。

 

あーあ、このビッグマックをシェイクしてくれねえかな。

 

渋谷のスクランブル交差点最寄りのマクドナルドより愛を込めて。