通勤ラッシュは.com

読んだら、ちょっと生きやすくなるかもしれない日記。

自己満足成分は生きて行くのに必要か。

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どうも、shinoDです。皆さん、5月の中旬ですが、いかがお過ごしでしょうか。

 ということで、さっそく本日の質問について答えたいと思います。

 本日の質問はコチラ。

 

自己満足って生きるのに必要だなと思うのですが、shinoDさんの日々はどれくらいの割合を自己満足成分で満たしていますか?

 

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自己満足成分

日々の中で、どれだけの割合を「自己満足」に充て、その他どれだけの割合を「他者満足」いわゆる、他人からの評価のために生きているかという意味でしょうか。

 

そういう意味として応えるならば、前提として自己満足成分100%を目指しています。

 

どういうことかというと、他者は自己の延長線上にあると思うので、他者に向かう意識は決まって自己充足の後です。

 

そもそも「満足」の届け先として、「自己」か「他者」かといった対象の問題があるとしましょう。

 

きっと、質問者は満足させる対象として、「自己」と「他者」どちらに重きを置いていますか?というニュアンスをもっていたのかと想像しています。

 

自分の捉え方はそうではなく、届け先はそもそも「他者」しか存在していなくて、その届ける車のガソリンのようなものが「自己満足」成分です。

 

ガソリンがないのに、他者を満足させようとする「自己犠牲」と「他者満足」は短期的には成立するかもしれませんが、長期的にはしんどくなるだけなので、そういう意識はできるだけもたないようにしています。

 

つまり、今、どれだけのエネルギーを蓄えているかが他者満足の量に比例するまたは繋がると思っているので、目指すべき場所は「自己満足100%」です。

 

おそらくですけど、自己満足を極めたら、溢れたガソリンが勝手に誰かに注がれるような気がするのです。

 

さて、自己満足と対比構造を持つ「他者満足」についてですが、これは他人からの評価という話に繋がると思います。

 

つまり、他人からの評価を得たいと思う感情、すなわち、「自己承認欲求」というものがあるとすれば、他者満足を満たすことによって、「自己承認欲求」を満たし、結果的にそれが自己満足に繋がるパターンもあるかもしれません。

 

他人からの評価をモチベーションにして、その成果として自己満足に繋がるというパターンですね。

 

しかし、この場合ですと、正当な成果が受けられない場合モチベーションが下がる危険性があると考えています。

 

つまり、成果の質により、自己のモチベーションが左右されるという自体に陥るということです。

 

そういう意味では、プロセス評価の意識が強い方は自己満足成分多め、成果評価の意識が強い方は他者満足成分多めということになるのではないでしょうか。

 

「承認欲求」に関しては、自分は肯定派でも否定派でもありません。

過去、承認欲求について記事を書いたので、興味ある方は読んでみてください。

 

shinodism.hatenablog.com

本日は以上です。

ありがとうございました。

 

失ってはじめて気付く恋。

どうも、shinoDです。

 

本日はこんなお悩みが届いております。

 

とても仲良しで2人で遊んだりしてた友達に他の子と付き合い始めたと言われました。今まで恋愛感情はあまりなかったのですがそれを聞いて好きだったんだなあって実感して今とても辛いです。この気持ちを抑えるにはどうしたらいいですか?

 失ってはじめて気付く恋。 

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失って初めて気付くアレね、いやーわかる。

 

君はこれから深夜になると意味もなくコンビニに行きたくなったり、遠回りをして家路についたり、ひたすらインスタントのココアを飲んで気を紛らわそうとするのでしょう。

 

それはきっと、口には出さなかっただけで、押し殺されていた"好き"という感情の怨念の仕業かと思われます。

 

実は、初期段階で好きであることに自分で気づいていたのに、ノーカン扱いを受けた"好き"がそこにはいたのではないでしょうか。

 

おそらく「好き」とか口に出しちゃったら、「ずっと異性として見てたの?」って気持ち悪がられることを恐れていたのでは。

 

確かにね。

 

異性として見られていたことに対して気持ち悪がる女子は実際多いと思います。

 

そういう意味では、告白してフラれて、気まずくなって、距離が遠くなる「リスク」を背負ってまで、今までと付き合いが変わらないような、ただ、唯一変わるとすれば"女友達"から"恋人"という関係性の名前という「リターン」しか見込めないのであれば、その「告白」はハイリスクローリターンですので、ほとんどの人がこのままの男友達という選択肢を選ぶのではないでしょうか。

 

そしてそれが短期的には一番楽しい付き合い方になるのでしょう。

 

しかし、もし、その子が異性と付き合うことを選ぶとしたら、ワンチャン自分を選ぶかも?と密かに期待していた仲良いその子に自分以外の男ができてしまったことで、異性の親友という座に胡座をかくことのリスクを身をもって体感できたのは今後の人生における大きな財産だと思います。

 

恋人として付き合ったところで、関わり方が変わらないリターンにばかり気を取られて、もし相手に彼氏ができたら、今までの付き合い方が一切できなくなってしまう「現実」は、二人で仲良く遊んでいた頃からすれば、考えもしなかった「不確実性」そのものであり、友達として付き合っている間中は、それが将来の「リスク」に含まれることなんて全く考えに及ばなかったはずです。

 

なぜなら、二人で遊びに行き、その子を独占している状態は、"男友達"とは名ばかりの、既に満たされてしまっている「独占欲」が生まれにくい環境下だからです。

 

さて、本題ですが、答えはシンプルで、抑える必要は全くないと思います。

 

ひたすらこの絶望をガムのように味がなくなるまで噛み続けるのが長期的には"好き"を成仏させる一番いい方法だと思います。

 

後々の人生、その絶望を大きく超えてくるような絶望の連続だと思うので。

 

青春のスパイスと思って、アルバムの中の1ページにそっとふりかけ、日常でたまにふと思い出して「マジ何なん」ってなったら焼肉行って、心の中で、彼女に精一杯の勝利宣言でもしとけばいいと思います。

 

「人生は近くで見れば悲劇だが、遠くから見れば喜劇である。」

 

と、チャップリンも言っています。

 

スパイシーな悲劇が淡い喜劇になるその日まで塩味の焼肉でもたらふく食べて、アホみたいに眠ってください。

 

以上、shinoDでした。

【就活対策】エントリーシートの書き方と面接の心構え。

はい、どうも。shinoDです。

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今日は就活対策として、エントリーシート、面接対策について何かしら書いていきたいと思います。

 

自分も1年前就活生だったので、ちょうど1年前、何か就活の方法論を体系化できないものかと模索してました。

 

最近、就活生から相談が来るようになり、自分の中で体系化した話を共有していくにあたり、「これは需要あると思います。」って言われたので、共有したいと思います。

 

具体的に書きすぎると紙面が足りないので、相談されたときにまず話す基本的なことだけでも書き連ねます。

就活対策。

エントリーシート

エントリーシート、通称ES。

 

就活戦線を勝ち抜くためには避けては通れないものだ。

 

まず、意識しておきたい点は『エントリーシートは御社へのラブレターで、面接は告白ということだ。

 

ということで、まずはエントリーシートから。

 

エントリーシートに盛り込むポイントはまず3つある。

 

  1. 自分はどんな人間なのかっつー「現在
  2. 自分の胡散臭さをかき消すために、根拠となる「過去
  3. 「現在」と「過去」を併せた価値観からこの会社で望む「未来

 

これらを時間軸に沿って説明していきたいと思います。

  

よくある質問で「なんでこの業界なの?」「なんでこの会社なの?」って言われるが、こういった類の話はあくまで「現在」の項目としてカテゴライズぇきる。

 

「現在」の項目が聞かれたら、すべて以下の3つのポイントを押さえればいいと思います。

 

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それは、①興味・関心 ②自己特性 ③行動特性の3点。

 

1点目の興味・関心というのは、単純に自分は何が好きで、何をして喜びを見出す人なのかということ。

 

2点目の自己特性というのは、自分自身がどんなことを得意とするかということだ。どちらかいうと、「テクニカル」寄り。

 

英語が得意であるとか、プログラミングが得意とか、そもそも何系の何学部の人間なのか、何を学んできた人なのかみたいな話。

 

3点目の行動特性は、どういうことにモチベーションを見出すのかということだ。

 

人に感謝されることをモチベーションとして働きたいのか。

成長できる環境で働きたいのか。

創造的な仕事ができるのがモチベーションなのかといったところだ。

 

自己特性と被っていると思われるかもしれないが、自己特性はどちらかいうと技術(身体)寄りで、行動特性は「メンタル」寄りだ。

 

 というわけで、エントリーシートフレームワークとして、主に3つある。

 

まず、「現在」いま持っている価値観を語る。

 

その後に、その価値観が生まれたきっかけであったり、それを裏付けるエピソードである「過去」を付け加えて、自分の論に説得力を付加させる必要がある。

 

「過去」を知れば「現在」が分かるとはよく言ったもので、この「過去+現在」が大きな塊となれば、「未来」の展望を語るのに最大級の説得力となる。

 

いきなり、未来スタートで「自分、御社でコレしたいっす!」って言っても何も説得力がないし、何より胡散臭い。

 

だから、まず現在の価値観を語り、それを裏付ける過去を語るのだ。

 

過去と現在がひとまとまりとなれば、将来への展望を語るに値するほどの材料が揃っているというわけ。

 

「未来」を語るときには、あくまで自分の意志という主観的な意見と、自分の特性を鑑みた上で社会が自分に求めているであろう「使命感」を語れたらベター。

 

つまり、「未来」に対して、主観的目線客観的目線で語るということだ。

 

今の話をまとめると、こう。 

 

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ということで、一個人の意見として聞いてほしいですが、 エントリーシートフレームワークとしてはこれが最適解ではないかと考えてます。

 

まあ、人に依ると思うので、あくまで参考にしてください。 

 

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400文字ならば、現在の価値観150文字、過去のエピソードとそれから得られた教訓が150文字、最後に未来への展望が100文字といったところでしょうか。

 

今の時期に、エントリーシートのこと書かれたって遅いよ!って思われるかもしれないけど、面接における話のフレームワークも全く一緒だと思っている。

 

ということで、面接についても少し書きます。

面接編

企業によってはエントリーシートの深掘りをすると思いますが、基本的に、自己紹介という「現在」を聞いた後、学生時代に力を入れた(ガクチカ)ことという「過去」を聞かれる。その後、ウチの会社で何がやりたいの?という「未来」を聞かれる。

 

なぜ、あの企業じゃなくて、ウチじゃないとダメなの?というのは、結局「未来」にカテゴライズされる項目なわけだ。

 

だって、未来を語るには社会の動向を知らなければならない。

 

その社会の動向の中には、「競合他社」が含まれているからだ。

 

企業研究、業界研究もすべては、「過去」「現在」「未来」に当てはめることができる。

 

企業、社会というものは自分の外にある客観的目線として語られるべきであって、その客体化した企業、社会に対して、自己的目線を付加させれば、それなりにポイントを抑えた志望動機が出来上がるというわけだ。

 

さて、最後に面接の話し方についてちょっと書く。

 

面接における話し方

巷では、『ロジカルシンキング』なんて言われてるが、そんな大げさなものではない。

 

意味が繋がっていれば、もうそれは「ロジカル」だ。

 

じゃあ、どうやったら意味が繋がるか。

 

それはよく言われる『結論ファースト』ということで、先に主張を話せばいい。

 

その後、その主張を裏付ける根拠を並べれば、スマートに伝わる。

 

面接のときに常に頭の中にあった図はコレ。

 

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この「地図」さえあれば、面接官に向かって話してるときに、迷子にならないのでオススメです。

 

自分の「主張」を単体で述べるのはやはり、心許ないというか、何より胡散臭いのだ。

 

そこで、「例えば」「実際に」「今の社会において」「御社は他社と比べて」というさまざまな説得材料という援護射撃で持論を補強するイメージ。

 

つまり、この根拠のところに、エントリーシートを作成するときに用いた材料をガンガン詰め込んでいくイメージ。

 

ということで、エントリーシートも面接対策も業界研究、企業研究もすべて連動していて、独立的に考えていくものではないということが、本日のまとめです。

 

以上です。shinoDでした。

 

自分の入りたい企業への告白が成就できるといいっすね。 

恋する乙女、婚活OLに捧ぐ。結婚相手の選び方。

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ハイ。ということで、GW前半の後半、盛り上がってますか!

アリ〜ナ〜〜!!

盛り上がってますか!!

1階席〜〜!?

2階席〜!?

盛り上がってますか〜!!

ハイ。っつーことでですね。これからも色んなアーティストさんがこの後も盛り上げてくれるので、次の曲で最後になっちゃいますが、ガンガン盛り上がっていきましょ〜。

それでは、聞いてください。

 

『結婚相手の選び方』

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(イントロ)

 

「結婚相手」と「付き合う相手」は違うという話をよく聞く。

 付き合う相手の延長線上に結婚相手があればベストなのかもしれないが、中には付き合うことと結婚することを分けている人も実際多いような気がしてならない。

 

 あ、ごめん、歌詞じゃないです。文章書いてます。

 

 この「結婚」というイベントを難しくしているところは、付き合ったからといって結婚できるとは限らないし「付き合う」という行為に「時間」と「愛情」を消費している点だ。

 

 人間だから、誰しも生物的に劣化していくのは自然の摂理。

 

 付き合う前と別れのときは誰しもが老いているのだ。

 

 つまり、結婚したい人からしたら、この限られた時間の中で最もベストな結婚相手を見つけることは人生を豊かにするかもしれないイベントであると同時に精神がすり減ってしまうことのひとつだ。

 

 『晩婚化』という言葉があまり好きになれないのは、結婚していない未婚の若者に将来的な結婚の可能性を常に暫定的に残してしまっている点だ。

 

 結婚しないという生き方もきっとそこにはあって然るべきなのに。

 

 っつーことで、今日はどちらかというと、結婚したい側の人にフォーカスを当てたいと思います。

 

 つまり、何人目の人と結婚するのが一番いいのかということを数学的な理論を用いて、話していきたいと思います。

 

 それは『最適停止理論』と呼ばれる「運命の人」を捕まえるための最適な戦略についての理論だ。

 

 例えばの話。

 

 これから100人の人と付き合うとして、何人目の人と結婚するのがベストなのだろう。

 

『最適停止理論』という言葉にあやかれば、この婚活という"ゲーム"を終わらせるために、どこでストップするのが一番幸福を最大化できるかっつー話。

 

 確かに、これは難しい。

 

 1人目の人がめちゃめちゃ自分好みの人だったとして、2人目から100人目まで惰性で付き合ってみるも、1人目が超えられない場合、思い出に勝つことができず「結婚」に踏み出せないのだ。

 

 逆に、99人と付き合ってみて、その彼がとてもいい人で結婚を決めたとしても、もしかすると100人目がスーパー素敵な男だったかもしれない。

 

 難しくカッコつけると、『時間の不可逆性』というものが結婚という決断を難しくしている。なぜなら、時間を戻して決断を改めることはできないし、未来から現在を覗くこともできないからだ。

 

 ということで、この『最適停止理論』というものを、この記事で紹介したいんですけど、この理論では、以下の戦略を取ることを前提としている。

 

ステップ1

最初から数えてr人目は見極め人数と割り切る。

 

主人公は婚活OL。

 生まれてからゴールインするまで、人生でn人の男性と付き合うとしよう。

 この理論では、最初のr人目は自分は恋人に何を求めているかを見極める期間として割り切るのだ。

ステップ2

そして、最初のr人の中で歴代最高の元カレを決める。

ステップ3

次に、見極め期間が終わり次第、その歴代最高の元カレをはじめて超えた「i番目の恋人」それが運命の相手である。

 

 以上が、この理論の概要である。

 

今の話を図に置き換えよう。

 

数学は客観性を重視するがゆえに、時に残酷なのだ......。

 

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「................................コイツまあまあ遊んでんな!!!!」

 

気を取り直して、この図から分かる通り、人生で恋人になりうる人数をn人とする。

 まず、ベストな人物(i人目)のところでこの結婚相手探しという"ゲーム"を最適なところでストップさせる確率をPとする。

 

 何でもかんでも"ゲーム"として考えてしまうのは、本当に数学の悪いところ。

 

 次に、最初にお断りする人数をr人として、婚活市場の感覚を掴む必要があるというのがこの理論の要であることは再度申し上げちゃう。

 

 いやー、残酷な理論だ。

 まず、一番厄介なのは、理想の運命の相手「i」が見極め期間中に来てしまったら、もう結婚できない。

 

 元彼を永遠に超えられないという事態が巻き起こる。

 つまり、数式に直せば、

 

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と表せる。

 

つまり、運命の彼「i」が1番最初から、見極め期間中に出てきてもらっちゃ困るっつー式だ。

 

 じゃあ、見極め期間が無事に終わり、それ以降に「i」が現れてきれたら、そらもう万々歳。

 

 それを数式で表すと、こう。

 

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運命の彼「i」より1人前までの元彼までに、すなわち、i-1人までに見極め期間が終わってしまえばいいという式だ。

 

 また、付き合う人数(n)が増えれば増えるほど確率は下がっていくので、

 

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という重みを掛ける必要がある。

 ということで導き出された式はコチラ。

 

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つまり、この式は見極め期間をいつまで続けるかによって、運命の人とゴールインできる確率が決まるっつー式だ。

 

 この式はさらにこう簡潔にすることができる。

 

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じゃあさ。

 

このPを最大値にする「見極め期間の長さr」って

 めっちゃ知りたくない????

 

 遊び盛りの女たちへ。

 ウチらはどこまで遊べばいいの!?って気になるくない?

 

 要するに、最高の男と結婚できる確率を最大にするrを求めればいいってことでしょ。

 とりあえず、nをめっちゃ大きい数字としようか。

 

 数式ばっかじゃおもんないと思うんで、近似使いまくるんですけど、ここで近似式の詳細載せちゃうと、即効記事を閉じられると思うので、詳細の数式は割愛します。

さて、

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上の式は結果的に近似式でこう表せる。

 

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じゃあ、これの最大値を求めればいいってことなんだけど、

 そうだね。単純に微分すればわかっちゃう。

 

 微分しようか。懐かしいゾ。微分そのままそのまま微分つって。

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P'(r)=0のときにP(r)は最大値をとる。

 そのときは、もちろんlog(x)=-1なので、

 

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と求まるわけ。

 

具体的に数値として求めてみると、x=0.367879441

 つまり、37%と出る。

 

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この式の意味するところは、

 

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つまり、見極め期間を最初の37%と設定するのが良いということだ。

 

最初の37%で恋愛、婚活市場の感覚を掴み、37%の中で現れた最も忘れられない元カレを頭の中に記憶しておくのだ。

 

 いいかい女子たち。上書き保存なんかしちゃだめ。

 

 その元カレをはじめて超えた人が"数学的"には運命の人なのだ。

 

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10人の男と付き合う女がいたとして、最初の4人は見逃す。

 100人の男と付き合う女がいたとして、最初の37人は見逃す。

 そう、38人目から婚活モードってわけだ。

 

 さて、ここまで長々と話してしまったが、ここまで打算的に生き過ぎてしまうのは、どうも、冷徹かつ冷酷な感じがしてしまう。

 

 数字というものはいつも冷たいし、人間は数字のように扱いやすい存在でもない。

 

 「結婚」はゴールのようであって、ゴールでもないし、幸せな人生を送るための一つの手段として、結婚は位置づけられるべきであり、結婚する人生もしない人生もあってもいいと思っている。

 

 一人でも余裕で生きていける男女があえて二人で生きることを選ぶときにこそロマンってあると思うのです。

 

 そうでなきゃ、誰しも愛には辿り着けない。

 

 さまざまな苦難を乗り越えてこそ、

 

 運命の「i」に辿り着けると思うのです。

 

 (アウトロ)

 

 続いてのアーティストさんは『5月1日に仕事あるのはマジウンコ』さんです。

 引き続き、GWをお楽しみください。

他人に期待しない生き方。

どうも、shinoDっす。

本日は、こんなお便りが届きました。

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周りの人のだらしなさに腹が立って仕方がありません。

楽をしている人ややるべき事もやらない人のせいで、自分が余計に辛い思いをして仕事をしてると思うとしんどいです。

世の中そんなもんなんでしょうけどそれじゃ納得できないです。子どもみたいな相談でごめんなさい。

割り切って生きていけるようなアドバイスをください。

他人への期待と信用の貯蓄。

他人に期待しない

周りのだらしなさに腹が立つのであれば、他人に期待しない生き方をしてみてはいかがでしょうか。

 

だらしなくないと信じている人の、実際だらしないシーンを見かけるから腹が立つのであり、自分の中で「だらしない人」というレッテルを貼ってしまえば、何も思わなくなります。

 

それは嫌いになるとかではなくて、「個性」として受け入れるという意味です。

 

「だらしない」に関しては、お金、時間、仕事、恋愛、異性関係、さまざまありますが、ここでは、ありふれた事例として、「時間」にしましょう。

 

例えば、よく遅刻する人について言えば、いつも30分遅刻する人が時間通りに来たら、感動しませんか。

 

赤ちゃんが初めて二本足で立っただけで、親が感動してビデオを回すのは、いま「二本足で歩けない子」というレッテルが貼られているからであり、人は期待値を上回れば、感動しますし、期待値を下回れば、裏切られた気持ちになって、悲しくなります。

普段からいちいち悲しくなりたくないので、無意識下で、対象の期待値を上げ下げし、感情をコントールするのが人間の感情と言えるのではないでしょうか。

そして、今、自分の周りの人間に対して、期待値高めな日常を送っているのでしょう。

信用の貯蓄

さて、ここで一つ、"時間通りに来るだけで、感動される人間になりたいか"について考えたいと思います。

 

叱ってくれるうちが華であると思うのは、周りが、今後の付き合いとして、期待値を上げ下げしようかという境界線上で彷徨っているからであり、周りが何も言わなくなったときは、期待値が底をついている可能性があります。

 

そういった意味で、やるべき事もやらない人は、一見、周りが何も言わないから楽している、または得しているように見えますが、どこかで信用の期待値を落としている可能性があります。

 

時間通りに来なかったら、「何かあったのかな」って思われる人間になりたいのであれば、自分の時間を売って、信用を買えばいいと思いますし、時間通りに来て、感動されたいのであれば、信用を切り売りし、みんなを待たせる時間を買えばいいと思います。

 

以上をまとめると、人は他人のために時間通りに来ているのではなく、最終的には、自分のために時間通りに来ていると言えるのではないでしょうか。

 

さらに抽象度を上げて、普遍的に言えば、どの行為を切り取ってみても、他人のために生きているシーンって、実は少なくて、長い目でみれば、どの行動も自分のためにしているという結論に帰着できるかと思います。

 

そして、それは「時間」だけに限らず、例えば、今悩まれている「仕事」に関しても適用可能です。

 

今、余計に辛い思いをして、仕事をしているかと思いますが、それは決して、サボってる人の尻拭いという自己犠牲のボランティアなどではなく、将来の自分の信用を上げるための、いわば「信用の貯蓄」です。

 

それでも、他人が自分に依存し始めて、嫌になるのではあれば、一旦全部投げ出して、やめてみるのも一つの手です。

 

最初の一行に戻りますが、同じように、他人も自分が思っているほど自分に期待していないかもしれませんし、その事に気付くきっかけになるかもしれないからです。以上、長文を書き連ねましたが、一言でまとめると、背負いすぎず、考えすぎないでいいと思います。

 

ということで、shinoDでした。

人に依存できる体質とできない体質。

どうも、shinoDっす。

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こんなお便りが届きました。

幼い頃から人に依存することができないです。

 

特定の人に依存する自分と、その人がいなくなったときが怖いのだと思います。異性の友達はたくさんいますが好きな人ができません。

 

いいなと思った人がいても無意識に心にストップをかけてしまいます。現状そこそこ楽しく過ごせているので特に不満もなく好きな人がほしいとは思わないですが、そう遠くない未来に周りの友達が結婚なんかしていくと考えると人のことを好きになれない自分は今後も独りなのかと不安を抱きます。

 人に依存できない。

「依存」と「協力」の違いについて

なるほどね。

まあ自分の意見ですが、正直、人に依存はしなくていいと思います。

 

例えば、「依存」と「協力」はそもそも違う気がします。結婚で必要なのは協力の方であって、依存の方ではないと思います。

 

そして、好きな人って無理やり作るものでもないですし、「好きな人」っていう席を先に作ってしまったから、空席状態に不安を覚えているのです。

 

気になる人ができて初めて「好きな人」という席を用意してみてはいかがでしょうか。

 

そして、誰も好きになっていない今の独りの状態がそこそこ楽しいのであれば、将来もそこそこ楽しいと思います。

 

実際っすよ。

 

自分が好き好きでたまらない人が結婚するからこそ面白くないんだと思いますし、独りでいることに恐怖心を感じているかもしれませんが、そもそも今の状態すらもよくよく考えてみたら、言ってみれば「独り」ではないでしょうか。

 

だって誰にも依存していないので。

 

よく「独り」と「一人」を混同しがちですが、周りの孤独度合いで自分の孤独度合いを測りだすと確実に拗らせます。

 

これは別に孤独に限らず、幸福度合いも同じではないでしょうか。

 

そういう意味で、周りが幸せになっていく人が増えれば増えるほど、自分が不幸せになっていくと感じるゼロサム(全体の合計がゼロになる)思考は黄色信号と言えます。

 

なぜ黄色信号かと言うと、幸福度がゼロサムと考えてしまう人は、いざ自分が幸せになったときに、周りが不幸になっていると錯覚して、罪悪感を感じてしまうからです。

 

誰しも自分のペースというものがあるので、時の流れに身を任すのが一番いいと思います。

 

最後に、楽しさについて、ちょっと何かしら書きますね。

未来の不確定性という楽しさ

 未来のことがわかんない状態が楽しさを生むと思っていますし、仮にすべて確定した未来を歩みなさいと言われたら、それはそれでそのレールから外れたくなるでしょう。

 

結末を知ってる映画、優勝者を知ってる録画番組、犯人がわかっている推理小説、結婚相手が決まっている政略結婚がつまんなく感じてしまうのはそういうことではないでしょうか。

 

つまり、今の不安要素である今後も独りかもしれないし、誰かと出会って恋愛するかもしれない人生の不確実性こそが将来の楽しさを生むと思うのです。

 

ということで、本日はココまで!

 

どうも、shinoDでした。

【第一章】自宅カフェ化計画

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はい、どうも。shinoDっす。

 

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本日は、自分の趣味でも公開しようかなって思ってます。

 

ハイ、とまあ、その趣味の本題の前に、いきなりなんですけど、自分カフェが好きなんすよ。

 

あそこは個人的に世界一休まる空間

 

けど、カフェってさ、丸眼鏡とかチェスターコートとかMacのパソコンとか、何かしらの課金アイテムないと入れないみたいなとこあんじゃん?

カフェ好きすぎるけど、東京のカフェはビジネスマンの熱気も意識の高さの位置エネルギーも込み込みでスゴくて、熱気ですぐ出ちゃうんよ。

え、だったらさ。

 

もうリビングをカフェにしちゃえばよくない??って思いまして。

 

だって、一回につき500円くらいのカフェを購入するわけじゃん。

 

1ヶ月30日通い詰めたとしたら、15000円の出費なわけじゃん。

 

15000円って言ったら、もうなかなかオシャレなテーブル買えちゃう。

 

しかも、自分には自宅を世界一休まる空間にする義務と権利があるわけだ。

っつーことで、『自宅カフェ化計画』を入居日から開始しております。

 

自宅カフェ化計画。

コンセプト決め。

まず、この部屋のコンセプトを決めなければならない。

 

イメージとしては、ダークブラウンを基調とした、白黒モダンなスタイリッシュな部屋です。

 

このイメージを頭に持ったまま、Yahooショッピングでポスターをひたすら1枚1枚見ていきました。

 

やっぱ、コンセプトを具現化するのにあたり、ポスターの立ち位置ってめちゃめちゃ重要な気してます。


しかも、自分は、形から入るタイプなので、とりあえずコンセプトを左右しそうなポスターから購入してみました。

 

結果として、自分のツボにハマったポスターがあったので、即購入。

 

こんな感じです。

 

 

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家具揃え

コンセプトが決まったら、今度は、このコンセプトに沿ったような家具を揃えるだけだ。

 

この部屋、カフェって言ってる割には、カウンターテーブルもチェアもない。

 

まずは作業台がほしいなと思い、カウンターテーブルとチェアを購入しました。

 

昨日、ネットショップで2週間以上迷った挙句、ポチッたカウンターデスクとチェアが届き、よりカフェ感が増大しました。

 

こだわりとしては、テーブルは作業台の広さとシンプルさ。

 

椅子のこだわりは

  1. 高さを自由に変えられること
  2. 背もたれがあること
  3. 回転椅子になっていること
  4. オシャレであること
  5. ダークブラウンを基調としているので、差し色として朱色系のクッション

 

これらをすべて満たしたチェアを購入しました。

 

ってことでコチラです。

 

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部屋の端っこに姿見を置いているのも、部屋が広く見えるという工夫です。

 

今、この部屋がとても過ごしやすく、テンションぶち上がり、舞い上がってます。

 

正味、めちゃめちゃ最高すぎて、今もこの椅子に座って、ブログ書いてます。

 

もうカフェに行く必要はないし、ココなら好きなBGM流して、周りの目を気にせずどれだけでもイキリ倒せるのだ。

 

ここから、色んなものをカスタマイズしていって、最高のカフェでも作ろうかと思っていますので、宜しくお願いいたします。


くだらない事だと思うかい

 

くだらなさにこそアートは宿るのだ、そう信じてる。

 

自宅カフェ化計画、まだまだ続きます。

陽キャ陰キャ論争。

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グレイテスト・ショーマンを観てきた。

 

もうね、グレイテスト・ショーマンってすげえの。

 

めっちゃアクティブで野心的で行動派でポジティブ。

 

ただ、自分のことが大好きすぎて、突っ走ると周りが見えなくなっちゃうタイプ。

 

ホントにザ・ヨウキャって感じなの。

 

まあね、このグレイテストショーマンを見て、面白さを感じるポイントはおそらく人それぞれだと思う。

 

けど、自分的には主人公であるP.Tバーナムとそれを取り巻く人々のキャラクター性の描写が面白く感じた。もちろん、面白さはそれだけじゃない。

 

具体的に書きすぎるとネタバレになっちゃうので、グレイテスト・ショーマンを観たことない人にも伝わる話として抽象度上げて書いてみたいと思う。

 

ハイ。っつーことで、映画を観ながら考えていた「人のキャラクター性」について何か書きたくなったので、筆をもった次第っす。

 

さて、小中高の頃のクラスに想いを馳せてみれば、『社会の縮図』とはよく言ったもので、さまざまなクラスター(群)が存在していた。

 

体育に命を懸けるイケイケ系、模試の成績を生きがいとするガリ勉系、クラスの笑いを掻っ攫うお笑い系、教室の隅っこで文庫本を読み耽る文化系と、最新のゲームについて語り明かすサブカルetcといった具合だ。

 

このようにさまざまなキャラクター性を帯びた集団の塊を「クラス」といい、直感的に、このイケイケ系が「ヨウキャ」の位置にいるのは自明だろうが、なぜそれが自明なのだろう?

 

グレイテスト・ショーマンの主人公P.Tバーナムを観ながらも「ヨウキャだなあ」って感じてしまったわけだけど、この無意識に骨の髄まで染みついてしまっている、ヨウキャとインキャの「線引き」って、はて、何だろう?

 

ただ一つ言っておきたいのは、グレイテスト・ショーマンを観たからこのヨウキャ・インキャ論争を勃発させたくなったわけではなく、こういった経緯も併せて紹介したい。

 

自分の中では「ヨウキャ」という確固たる自信があるにもかかわらず「俺インキャだから~」みたいな一種のマウント、そして、インキャへの冒涜を日常の中に垣間見るのである。

 

先ほど「マウンティング」という言葉を使ったように、ヨウキャ界隈はインキャ界隈を下に見ている傾向があるように感じる。

 

彼らは、本来、フラットに捉えられるべき「キャラクター性」に対して、「ヒエラルキー」という虚構を創り出し、虚構の勾配にマウンティングをぶっかましているのだ。

そう、彼らの頭の中の構図はこうだ。 

 

スクールカースト」という言葉に表れているように、イケイケ系、キラキラ系が独裁政治を扇動し、体育祭で活躍しまくり、女、男にモテはやされ、着々と力をつけていく。

 

きっと、その場の環境における相対的なイケイケクラスターが「ヨウキャ」というポジションをブン取り、余事象的に隅に追いやられた残りの人を「インキャ」という箱にぶち込んでいるだけなように思う。

 

ただ、ここで提言しておきたいことは、そもそもヨウキャ・インキャというキャラクター性は階層的であってはならず「白」と「黒」のように並列的なものでなくてはならない。

 

白と黒、どちらが優劣があるかという話題については、結局、個人の好みに依るもので、白の方が黒より上という不毛な話は誰もしない。

 

つまり、ヨウキャ・インキャ論争の前提として、そもそもがそれらは「並列的である」ということをまず前提として共有したい。

 

しかし、ここである問題が一つ浮上する。

 

並列であるからと言って、それらを分かつ「線」というものが存在するはずだ。

 

ということで、その「線」って何ですか?っていうのが今日のお話。

 

さて、「線引き」とはいいつつも、その線によって、キャラクター性を「0」と「1」で分けてしまうようなビットのような概念ではないような気がしている。

 

どういうことかというと、キャラクター性というのは、きっと「0」と「1」を対極としたグラデーションのようなものだ。

結論言っちゃうけど、突如、勃発したヨウキャ・インキャ論争は「このグラデーションの中であなたはどこに居るんですか?」っつー問いかけで終戦を迎えることができる。

 

つまりは極端な0と1以外は誰しもがヨウキャ成分をもち、インキャ成分を持って生きている。

そう、誰しもがグレーなのだ。

 

では、0と1を分かつ、その基準は何か。

 

ここで一つの説を挙げる。それは

 

先に頭が動くか、先に身体が動くか。

 

主人公P.Tバーナムを観ながら、この人すげえ身体動くなあって思った。物理的な身体の動きもそうだけどさ。

 

きっと、ヨウキャの性格は頭より先に身体が動く。これは間違いない。

 

そして、インプットよりアウトプット重視。

 

この行動をした時に、将来自分に降りかかるリスクなどは考えずに、ひたすら行動をしてしまう。

 

行動して、行動して、行動していく中で、その都度答えを探すだけで必要なときにちょっと考えるだけ。

 

何ならその思考時間もめっちゃ短い。

 

どうせ考えるべき段階になっても先に行動をしてしまうから、ドミノ式に永遠に行動し続けるルーティーンが形成される。

 

これが仮に社会人に当てはめると、一体どんな職種なのだろう。

 

ド偏見で申し訳ないが、とりあえず脳筋体育会系。外銀、外コンのツーブロックで髪の毛をジェルで固めたイケイケサラリーマン。

 

銀座のコリドー街に繰り出しては、社員証ぶら下げながら港区女子をお持ち帰りしちゃうサラリーマンといったところか。

 

ド偏見で申し訳ない。

 

この性格がきっと社会における「プレイヤー」の位置にいるのではないだろうか。

 

一方で、インキャの性格は、身体より先に頭が動く。

 

アウトプットよりもインプット重視であり、ある行動をした時に、自分に降りかかるリスクを考えて、保守的に考えて行動してしまう。実験派より理論派で、頭でっかちになりやすい。

 

この頭でっかちタイプがいつのまにか社会における「批評家」という位置にいたりする。

 

結果的に生まれてしまった、この「プレイヤー」と「批評家」という対比の印象から、革新派と保守派に分かれてしまい、これらの人のことを直感的に「ヨウキャ」「インキャ」と呼ぶのではないのだろうか。

 

政治的な話に直せば、前者が左寄り、後者が右寄りと言ったところ。

 

今の話をまとめると、こうだ。

つまり、絶対的ヨウキャ、絶対的インキャはそもそも存在せず、すべては環境によって変化する相対的概念なのだ。

 

大学界隈でヨウキャの立ち位置にいようが、その人らがWANIMAの中に紛れたら間違いなくインキャの位置になる。だってあんなん無理よ。

 

太陽が当たる時間によって、日向になれば日陰になるところがあるように、他人のキャラクターによって影響を受けてしまう「キャラクター性」に絶対的な個性はそもそも存在しない。

 

自分がその場所を動けば、他人のキャラクター性に影響を与えてしまう。

 

逆に言えば、今の自分のポジションを務めることができるのは自分しかいない。

そう。

 

誰しもがグレイテスト・ショーマンなのだ。

 

終わり。