通勤ラッシュは.com

読んだら、ちょっと生きやすくなるかもしれない日記。

恋愛の束縛力の正体ってコレでしょ。

f:id:shinod_blog:20180815063853j:plain

f:id:shinod_blog:20180418062326p:plain

 

どうも、shinoDっす。

 

最近、こんな話を聞きました。

 

恋愛感情や恋人関係って曖昧で不思議だなって。口頭だけで結ばれた関係なのに、まるで手錠で結ばれてるかのような拘束力がある。

 

確かに、言わんとしていることはめっちゃわかる。

 

それなのに、別れようの一言だけで、今まで築き上げたものが全て無しになるんですよ。友達とだったら楽しめたり、多少目を瞑ったりする価値観の違いも、恋人同士なら大きな亀裂が走るキッカケにもなるじゃないですか。

 

うんうん。

 

どうして口約束だけで完成してしまう恋人という関係に、こんなにも執着したり振り回されたりしてしまうのでしょう。

 

なぜ、口約束の関係でしかない他人と他人の間柄なのに、『拘束力』みたいなものがあるかってことですよね。

 

ということで、本日は、恋愛における「束縛力」をテーマに話していきたいんですけどね。

 

ちょうど、最近読んだ本の中に、こんなことが書かれていました。

 

『貨幣は貨幣として使われるから貨幣である』という自己循環論法こそ貨幣の本質である。

 

ちょっと難しいですが、これは「貨幣は、皆が貨幣と思うが故に貨幣として振る舞う」という意味です。

 

この貨幣の自己循環論法と恋愛は似てるなというのが個人的な感想です。

 

どういうことかと言うと、皆が皆「恋愛」という教科書的な幻想を既に作り上げてしまっていて、「恋愛感情が教科書的な恋愛の枠組みの中に無理やり押し込められてしまって、友情と変わらないようなタダの好きっつー感情でさえも、恋愛を作り上げるピースとして扱われてしまう」といったように、恋愛感情もきっとこの社会では『貨幣』と同じように機能するんじゃねえかって考えています。

 

簡単に言えば、お金だって、言ってみたらただの紙じゃないですか。

 

けど、みんながこの紙には価値があると認めあっているからこそ、貨幣として機能するわけです。

 

同じように、恋愛関係における男女は、恋愛はこうあって然るべきっていうルールを皆が共有しているからこそ、恋愛が『恋愛』になっちゃうってことです。

 

伝わりました?

 

さも、恋愛はこういう道筋を通らなければならないといった先人たちの轍(=わだち)を皆が通ることによって、誰かが通った『獣道』がいつしか道になり、『道理』となり、『常識』となっていく過程の中で、恋愛のしきたりみたいなものが生まれてしまったのではないでしょうか。

 

きっと、実態をもたない蜃気楼のような恋愛の手錠、例えば「拘束力」「独占欲」「価値観の相違」といったモノにその子は疑問を抱いていたんだろうなって。

 

口約束だけで完成してしまうような実際フリースタイルであるべき恋人関係の中に、みんながみんな、ガチガチに固められた教科書的な『恋愛の法』を持ち込んでしまうから、そりゃ実体を持たない蜃気楼のようなモノに執着したり振り回されたりしまいますよね。

 

結局、自分は一体何に振り回されてしまっているんだ?って混乱しちゃうんだと思います。

 

ただね、誰かが決めたわけでもない、ただみんなが採用しているというただそれだけの『恋愛のルール』に疑問を呈してこそ、自分の感情に向き合えている証拠だと思うんですよね。

 

『恋愛』してる人はみんな狂ってるくらいの感覚で、自分にしか捉えられない恋愛の定義、形を探し求めてみてはいかがでしょうか。

 

地に足ついとけば、いつか自分が決めた恋愛の形にスポッとハマるような人が現れると思うので。

 

以上、恋愛コンサルタント、shinoDでした。

 

嘘です。